FC2ブログ
気を失うように寝落ちすることが多い。
疲れやすくなってるのかな。
メンタルなところを気にした方がいいかな。
平成生まれの子は心理面のコントロールについて語ることが多く、昭和生まれの我々世代より参考になる。
負の遺産を背負いこませてごめんね。
スポンサーサイト



スペインのアメリカ大陸における征服者・探検家のこと。
スペイン国王の認可が必要だったが、財政的な支援はほとんど無かった。
コンキスタドール自ら資金を集めて組織した数百名の武装した私兵部隊でありスペイン正規軍兵はほとんど含まれなかった。
征服後はスペイン王室は官吏を派遣してコンキスタドールの権利の剥奪を始めた。
16世紀後半のフェリペ2世の頃には副王制をはじめとした行政機構に組み入れられた。
首都はクスコ。
正式な国名はケチュア語でタワンティン・スウユという。
「タワンティン」はケチュア語で4、「スウユ」は州、地方、文脈によっては国を表す。
訳すと「4つの邦」という意味である。
「4つの邦」とは
チンチャイ・スウユ(北州)、
コジャ・スウユ(南州)、
アンティ・スウユ(東州)、
クンティ・スウユ(西州)
を指します。
ケチュア族の方針により比較的自由な自治を認めていたため、一種の連邦国家のような体をなしていました。
チムー王国を滅ぼしたインカ帝国
その始まりは1200年ごろにアンデス山脈山中に作られたクスコ王国という小規模な都市国家から始まりました。
インカ神話によると初代国王はマンコ・カパックという人物らしい。
ケチュア族によって建国されました。
初期クスコ王朝と第2クスコ王朝に分かれてるらしい。
マンコ・カパック→シンチ・ロカ→リョケ・ユパンキ→マイタ・カパック→カパック・ユパンキと国王が継承されていきました。
第2王朝はインカ・ロカ→ヤワル・ワカ→ウィラコチャ→パチャクテクという風に国王が継承されました。
最後のパチャクテクの時代に大きな発展を遂げることになります。
巨大な王国を築き、数百年に渡る繁栄を誇ったチムー王国
しかし、1470年代からインカ帝国による侵攻が始まった。
国王・ミンチャンカマンは必死に戦ったが、敗れた。
1493年にはチムー王国は、ほぼインカ帝国の支配下に入った。
陶器や精巧複雑な金工で知られたチムー王国は急拡大した新興大帝国によってあっけなく滅びてしまいました。
プロフィール

コ―ジ2号

Author:コ―ジ2号
FC2ブログへようこそ!
歴史ブログ書き始めて4年目になります。
今年は日記中心でいきます。
ニュース番組やJリーグも好きです。
よろしくお願いいたします。

FC2カウンター